公開中の韓国映画です
アンニョン(^-^)ノ
10月もよろしくです・・・
今日
ってゆうか日付け的には昨日だけど
『ジョーカー』を観ました・・・
ジョーカー JOKER
ジョーカー
原題:Joker
韓国語題:조커
中国語題:小丑
(2019年、アメリカ映画、122分、R15+)
監督・脚本・製作:トッド・フィリップス
脚本:スコット・シルバー
製作:ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンジャー・コスコフ
製作総指揮:マイケル・E・ウスラン、ウォルター・ハマダ、アーロン・L・ギルバート、ジョセフ・ガーナー、リチャード・バラッタ、ブルース・バーマン
撮影:ローレンス・シャー
美術:マーク・フリードバーグ
衣装:マーク・ブリッジス
編集:ジェフ・グロス
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
音楽監修:ランドール・ポスター、ジョージ・ドレイコリアス
ホアキン・フェニックス - アーサー・フレック/ジョーカー
ロバート・デ・ニーロ - マレー・フランクリン
ザジー・ビーツ - ソフィー・デュモンド
フランセス・コンロイ - ペニー・フレック
ビル・キャンプ - ギャリティ刑事
シェー・ウィガム - バーク刑事
ブレット・カレン - トーマス・ウェイン
グレン・フレシュラー - ランドル
リー・ギル - ゲイリー
ダグラス・ホッジ - アルフレッド・ペニーワース
ダンテ・ペレイラ=オルソン - ブルース・ウェイン
マーク・マロン - ジーン
ジョシュ・パイスホイトジョシュ・パイス
シャロン・ワシントン - 社会福祉士
ブライアン・タイリー・ヘンリー - カール
ロッコ・ルナ - ジジ・デュモンド
ソンドラ・ジェームズ - サリー博士
ハンナ・グロス - 若き日のペニー
エイプリル・グレイス - 精神科医
配給:ワーナー・ブラザース映画
(映画.com)
公開される前から予告編が目立ってた作品ですが
公開されたあとはもう、それこそ映画ファンの人々の間で
非常に評判となった作品ですよね。
そして、DCコミックスの映画作品としては
史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞して大きな注目を集め
・・・つまり、コミックの映画化作品ってカテゴリーを超え
高い評価を獲得していったんですよね。
私も公開中に劇場で観たかったんですけどね~、ホントに・・・
最後の最後まで悩んでたんですが・・・観なかったんですよね。
やっぱり失敗だったと思うんですけど、何度も書いてますように
私はそんなに映画を劇場で観ない方ですので・・・すんません
しかし、こうして観たわけですが、観る前にはホントにかなり
心臓がバクバク・・・です。
期待とゆうよりもむしろ
あたかも死刑執行を見る前のような気分でね・・・
見てはいけないものを見るんじゃないか
そんなふうに感じてました。
この映画は
DCコミックス『バットマン』(1939年~)に登場する人物
「ジョーカー」が主人公で
つまり、アメリカン・コミックスをベースにした映画なんですが
私思うに、「バットマン」も「ジョーカー」もアメリカン・コミックスも
また『バットマン』のこれまでの映画化作品も
何もかにも知らなくってもぜんぜん大丈夫な作品ですね。
それは保証します。
いきなり観て大丈夫。
※ ここから内容に触れています。
架空の都市、ゴッサム・シティに暮らす男、アーサー・フレック。
何かあると「アッハッハッハッハッハ」と
人をイラッとさせる笑い方で笑い続けるコミュ障のキモメン。
認知症で体の不自由な母親のペニーの世話をしつつ
本人も心の病に苦しんでいて
おそらく、これまで女性と付き合った経験もなく
コメディアンになることを夢見て
ピエロのアルバイトをやっているが生活は苦しい。
アーサーの夢はマレー・フランクリンのテレビ番組に出て
みんなから賞賛されること。
しかし、現実の彼は通りすがりの人たちにからかわれ
時には暴力を振るわれても我慢を強いられる日々。
仲間内からも蔑まれ、身に降りかかったトラブルも
アーサー自身の責任にされるのだが
口下手なアーサーは反論もできない。
アーサーは次第に強い自己憐憫に苛まれていく。
母親は30年前に
町の名士で大金持ちのトーマス・ウェインの邸で
メイドとして働いていたと話し
ウェインに自分たちを助けてくれるよう
何度も手紙を書いているが・・・。
そんなある日、アーサーは仕事仲間のランドルから
護身用にと一丁の拳銃をもらうが
あるきっかけでそれを使ってしまう。
アーサーはアパートの同じ階に暮らす
シングルマザーのソフィー・デュモンドと知り合い
お互いに理解し合う関係になる。
それはアーサーがずっと欲していた人とのつながりだった。
何か書こうと思ったんですが、なかなか書けませんね。
一つには、『ジョーカー』のような映画について書くための言葉を
私がこれまでで使い果たしてるところもあります。
けっこう、これまでに書いたことと同じようなことしか
頭に浮かばないんですよね・・・。
『ジョーカー』は歴史的な大傑作なので
それに相応しいことを私だって書きたいんですが
部分的にはどうこう書けても、全体的には難しい・・・。
まあ、観たばかりですのでね、また何回も観てたら
いろいろまとまっていくんでしょうけど
でも、観た直後に正直に書いておくのが一番ですよね。
最近、特にそう思います。
やはり観てて、私にはきつかったところもあるし
意外ときつくなかったところもあります。
アーサーのキャラについては、ある程度、予想もしてたので
先入観で見たらアカンと思ってました。
最初の方は好きになれなかったかもしれませんが
すぐ気の毒に思えてきました。
前にも書きましたけど、私は人が人を
簡単に可哀想だなんて思ったらアカンと思う。
それは本当に失礼とゆうか・・・
でも、いつ何どきでも助け合う気持ちもないとダメだと思います。
それが基本とゆうか。
とにかく、アーサーの身に降りかかる不幸は
彼の病気が原因の場合もあったかもしれないけど
ほぼいきなりのものばかりなので、社会的ないじめに相当する
と、思いました。
また生まれながらの境遇だって、本人にはどうしようもないし
それでアーサーが妄想を抱くのもやむおえなかったと思います。
ですので、これは虐げられた人の怒り、憤怒の映画でした。
その怒り、憤怒に私は共感しました。
それに共感できないのなら、その人はこの映画を観ても
あまり意味がないんじゃないですか。
限界が破られた時、私はそれが嬉しかった。
もちろん、複雑な気分でもありました。
それは例えば、殺人事件をそう見るようなものだし
殺人犯の死刑を喜ぶような後ろめたさもある。
そう考えると、映画とは罪深い文化です。
時々、殺人に喝采を送るような場面だってあるんだから。
『ジョーカー』は殺人犯の成り立ちの映画でもある。
その点、ホンマに現実的でしょう。
観たら、「これ、自分のこと」と思う死刑囚も
いるんじゃないですか・・・と考えるとホントに怖い。
それでも、私は、最後、ジョーカーが救世主のように
人々から讃えられるのを目にして、嬉しかった。
その後、どうなるのか、不安にも感じていましたし
また、その状況もすっごく哀しいんですけどね。
『ジョーカー』は『パラサイト 半地下の家族』(2019年)よりも
より、富裕層、成功者の無神経と傲慢があからさまに感じられて
だから、ジョーカーの誕生が嬉しかったのかもしれません。
もしもこんな社会なら
ジョーカーのような存在が出現すべきだと・・・。
しかし、面白い映画ではなかったし
最後まで観て気が晴れることはなかった。
それがこの映画の素晴らしいところじゃないですか。
それでも
ゲイリー・グリッターの「Rock and Roll Part 2」が流れる頃になると
いよいよ完全に引き返せない地点を越えただろうことと
ジョーカーが誕生する予感に期待を感じるところもあったけど
今度は彼が何をするのかとゆう不安に怯えることになる・・・。
しかし、運の悪いことに私は
ある方のレビューで「誰が、誰に、何をするのか」を
何となく知ってしまっていて
そのへんの衝撃はやや減り気味でした。
それはかなり残念でしたよ。
やっぱり映画の最後の30分間は
何が起こるのか知らない方がずっといい。
「ジョーカー」の出てくる映画は全部、私も観てましたよ。
『バットマン』(1989年)を観たのは小六くらいだと思うけど、非常に満足しました。
怖かったですけどね。
特に最後が。
それで気に入って『バットマン』の映画は
全部、観たんですよね(1989年以後の作品だけですが)。
今でも特に好きなのは『バットマン・リターンズ』(1992年)ですね。
あれはティム・バートン作品の中でも傑作でしょ。
そして『ダークナイト』(2008年)も大傑作でしょう。
ズバリ、面白さと興奮なら『ジョーカー』よりも
『ダークナイト』の方が上だと思いました。
まあ、それだけでもないんでしょうけど。
キャラとしてのかっこよさも
確実にヒース・レジャー版の方が上でしょう。
ホアキン・フェニックス版は「かっこいい」って感じではないなあ・・・。
だからつまり、かっこよくないジョーカーであったことが
『ジョーカー』の素晴らしさでしょう。
かっこよかったら、むしろ、おかしい。
ず~っと前、ホアキン・フェニックスが、どうやら
レオナルド・ディカプリオを批判してるらしいって
何かで読んだ時には、何を言う、許さんって思いましたが
もちろん、そんなんで本気で嫌ったりはしませんよ(;´∀`)
今となってはいい関係みたいだし。
そして、アカデミー賞で主演男優賞を受賞し
それはホアキン・フェニックスが『ジョーカー』の中で
偉大な演技者であったことの証しでしたし、
実際、映画を観て、その通りだと思いました。
暗く、重苦しい映画ではあったけど
ホアキン・フェニックスの芸術を目にすることは喜びでした。
誰にでもできることではないでしょう。
ジョーカーのキャラクターについては
一つだけ、違う形で見たかったように思います。
それは彼が心の病を患っているって要素です。
もしも、それがなかったら
自分はジョーカーとは違う、彼のような人生には陥らない
って思ってる人たちに、どんなふうに見えるのか
と思うんですよね。
誰しもが彼のような不幸に襲われ
苦しみを経験したら、どうなるのか
それをより現実的に映画で体験させてほしかった・・・
そうも思います。
しかし・・・
『ジョーカー』のような映画を60億の人たちが観ても
世界はそうそう変わらない、そうも思えました。
日本なんか、特にそうです。
この国では劇的な変化はなさそうです。
暴動だって起こらない。
暴動って、戦争の一種ですしね・・・
もしも民衆が暴動を起こした時
警察や軍隊が、国民を守るって約束を忘れず
敵に回ったりしなかったら、そんなことがあったら
どんなふうになるのか、知りたいものです。
しかし、現実には今のままが、ず~っと続きそうですね。
千代に、八千代に・・・って感じかな。
誰も怒らない。
誰もが当然のように我慢し続ける。
日本の「ジョーカー」がいたとしてもですよ。
付記: でも、あの車の上に立って、あの事件の賛同者たちに賛美されたことに大きな達成感を感じて、ラストみたいな本物の悪になってしまったのだとしたら、自分がきっかけとなって起こった暴動に煽られてることになるので、本末転倒みたいになるし、映画の結論としては、やっぱり暴動とその後のジョーカーに肯定的ではないのかな、とひと眠りしながら思いました
トッド・フィリップス監督の監督作品は
調べると・・・私は1作も観てないようです。
でも、『ジョーカー』1作で、次の作品も観てみたいですよ。
できれば、繰り返しと言われるだろうけど
また、こうゆう、アメコミの映画化でありながら
そのジャンルからはみ出るような作品をもう一回、観たいです。
私は『ジョーカー』のような形の映画にとても惹かれてます。
観終えて、これを書きながら思い出したのが
チャウ・シンチー監督の『新喜劇王』(2019年)でしたよ。
『ジョーカー』と『新喜劇王』はとてもよく似ている。
違うところはラストですかね。
『新喜劇王』をまだ観てない『ジョーカー』のファンの方は
『新喜劇王』も観てみた方がいいですよ。
気に入るかどうかはともかく
とにかく、『ジョーカー』はやはり大傑作でした。
私の期待が巨大すぎたかもしれませんが・・・
それでも『ジョーカー』は大傑作でした。
観終えてから、映画にお詳しい方々のレビューを
読ませてもらってますが・・・そうすると、さらに面白いですよね。
あと、『ジョーカー』の音楽も
ホントにホントに素晴らしかったです
でわ、今日も最後までおおきに、ありがとうさんです
アンニョン~(^.^/)))