いつも読んでくださり、本当にありがとうございますm(._.)m
なんか少し書き慣れた分、傲慢さも顔を出してるかもしれません。
もしも私がエラそうに増長したりしたら、諌めてください。
映画について書かしてもらうことに感謝です。
ちょっと前なんですが3月18日、この作品を観ました
少年と自転車
少年と自転車
原題:Le Gamin au vélo
中国語題:单车少年 / 单车男孩
韓国語題:자전거 탄 소년
英語題:The Kid with a Bike
2011年製作/87分/ベルギー・フランス・イタリア合作
│キャスト│
サマンサ・・・セシル・ドゥ・フランス
シリル・・・トマ・ドレ
シリルの父・・・ジェレミー・レニエ
書店の店主・・・ファブリツィオ・ロンジョーネ
ウェス・・・エゴン・ディ・マテオ
居酒屋の主人・・・オリヴィエ・グルメ
│スタッフ│
脚本、監督・・・ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ
助監督・・・カロリーヌ・タンブール
撮影監督・・・アラン・マルコアン
カメラマン・・・ブノワ・デルヴォー
撮影助手・・・アモリ・デュケンヌ
編集・・・マリ=エレーヌ・ドゾ
音響・・・ブノワ・ド・クレルク
ミキシング・・・トマ・ゴデ
美術・・・イゴール・ガブリエル
衣装・・・マイラ・ラムダン=レヴィ
メイク・・・ナタリ・タバロー=ヴュイユ
プロダクション・マネージャー・・・フィリップ・グロフ
製作主任・・・トマ・アファンダリ
スチール・・・クリスティーヌ・プレニュス
製作・・・ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ、ドニ・フロイド
製作総指揮・・・デルフィーヌ・トムソン
製作補・・・アンドレア・オシピンティ
共同製作・・・アルレッテ・ジルベルベルグ、ベルナデット・ムニエ、
アンドレ・ミショット、ステファノ・マセンツィ
エンディング曲:ベートーヴェン ピアノ協奏曲「皇帝」
(アルフレッド・ブレンデル+ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
字幕翻訳:松岡葉子
後援:ベルギー大使館、ベルギー観光局ワロン・ブリュッセル
提供:ビターズ・エンド、角川書店、dongyu WOWOW
配給:ビターズ・エンド
©Christine PLENUS
「ロゼッタ」「ある子供」のジャン=ピーエル&リュック・ダルデンヌ兄弟が、2011年・第64回カンヌ国際映画祭でグランプリ(審査員特別賞)を受賞した作品です。
12歳の少年、シリルが必死に父親を探している。
事実、少年は父親によって児童養護施設に預けられたんですが、父親が自分に何も告げずに去っていったことがどうしても信じられず、会いたい一心なんですね。
彼はまた父親が買ってくれた大切な自転車を探す。
それで施設の人から逃げ回ってたんですが、連れ戻されるのを拒否する中でそこにいた一人の女性にしがみつく。
普通、迷惑な話しです。
関係のない子にしがみつかれたりしたら。
その美容師の女性、サマンサはシリルと面識はなかったんだけど、シリルの自転車を発見して彼に届けてあげたんですね。
なかなかそんなことも普通、できないと思うんですけど。
その時、シリルは彼女に週末だけ里親になってくれるように頼む。
軽く、サラッと頼むんですが、サマンサもサラッと承諾した。
そして、シリルは週末をサマンサと過ごすことなるんだけど、彼はとにかく父親を探すことをやめない。
それだけが彼の望みなのですね。
自転車への執着も父親への思いの表れです。
しかし、父親の方は ―― 彼は新しい仕事に就き、自分の人生を始めるのにシリルが重荷なんです。
シリルはついに父親を探しあてますが、父親の態度はそっけないものでした。
いや、父親だってシリルのことを考えたかったのかもしれないけれど、自分のことで頭がいっぱいだったのでしょう。
なんとか父親といたかったシリルだが・・・彼は混乱し、サマンサが彼のために考えた彼にとって有意義な時間の過ごし方を拒絶する。
そして父親といたいのにそれを否まれた少年は年上の青年の悪い誘いに乗ってしまう。
約束を守らず、危うい状況にあるシリルに多くの時間を使うことでまた、サマンサは彼女の恋人との関係にヒビが入ってしまう。
そういった話しです。
この前、『ある子供』(2005年)を観て、あまりにも素晴らしかったので、ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの兄弟の作品をすぐに観たくなったんですね。
そしたら、さらに素晴らしい作品に出会った ―― そんな気分です。
ダルデンヌ兄弟の映画はこれで、『ロゼッタ』(1999年)、『ある子供』、そしてこの『少年と自転車』で3作、観たことになったけど、『ロゼッタ』を観た時には私はまだよくわかりませんでした。
でも、それから時間も経って、私もいろいろ考えることになって・・・『少年と自転車』は私にさらに考えさせてくれる映画でした
この映画のシリルとサマンサ、2人の人物は私が経験したことがないことを教えてくれたんですね。
それはいかにも、どの国のどの街でもありうることでしたが、私は気づいてなかったし、それを初めて直に目にした気持ちになりました。
何てゆうか、明確な映画だと思いました。
観ていてすごく伝わるとゆうか・・・いきなり始まるんだけど、セシル少年の気持ちがわかるんですよ。
パパに会いたい、パパといたい、その一心ですよね。
その気持ちに泣けました。
しかし、パパの方は彼が邪魔になっていて、それも判明するんですね。
私はここに、社会の仕組みのひずみを感じたんですね。
もしもパパに余裕があれば違うのかな、と。
もしかすると、パパは新しい女性と恋愛がしたくって、息子を疎ましく思ってるのかもしれない。
でも、映画を観ている限り、パパは新しい仕事に集中するためにシリルを邪魔に感じてるようにも思えたんですね。
そういったことはハッキリしないけれど、確かなことはシリルはパパと一緒にいたかったってことです。
父親になったのなら子どもが第一、そう思えないのなら、それは悲しことですね。
シリルのパパはずっと息子を拒絶し続け、私は彼の態度に腹を立てました。
しかし結果的に、私はやっぱり親個人だけの問題には思えなかったし、今、これを書いてる時にシリルのパパを悪しざまに批判する気にもなれない。
だって、どんな人でもシリルのお父さんですから(シリルはそれを聞きたくないでしょう)。
また育児放棄が少年犯罪につながっていく過程も実感しましたが、だから私はやっぱり未成年の犯罪は当事者を断罪して罰するだけでは上辺だけの印象を強くしました。
シリルは子どもっぽく直情的だけど、けっして悪い子ではない。
シリルに対してサマンサの気持ちにはわからないこともありました。
サマンサの考えは私には見えにくかったです。
急にしがみつかれた少年のために、週末、里親になる。
どうするって、ごはんも用意して、面倒を見てあげるんですね、12歳の子どもに必要な。
しかしとにかく突然、承諾したので大丈夫かと思ったんですね。
が、サマンサはその後、それ以上のことをやっていく。
私が観ていたところでは、誰かが見ているから賞賛されようとか、信心深いからその義務としてって感じではないんですね。
それならなぜなのか、って話しです。
サマンサの選択、行動が特に考えさせられる要素だと思いました。
わたしが思っていたのは、サマンサが違う選択、行動をしていたら、ってことでした。
そうしたら違う結果になっていたでしょう。
映画の最後、観客は不安な気持ちになります。
それはシリルが間違った道を進んだ結果ですが、人は誰しも自分の行動によって危うい状況に陥りうるってことなのではないかな。
特に子どもの場合、周囲の大人たちの対応によって大きく左右するんだってことなんでしょうね。
また ―― 被害者は次には、加害者になりうる、それに気づいて愕然として怖くなりました。
言葉では上手く書けませんが、衝撃もあったし、強い印象が残って、しばらくはずっとこの映画について考えてました。
この映画を観たあとで、韓国映画、『幼い依頼人』(2019年)、『夏時間』(2019年)、それからアメリカ映画だったけど『マイ・ルーム』(1996年)といった映画を観たけど、これらの映画はみんな重なる何かがありました。
地続きとゆうか・・・子どもたちの映画でもありますよね。
また、大人はどうあるべきかってこともあると思いました。
こうして書いていると、亡くなったブロガーさんのことを思い出します。
ヒョンビンと、小さな子どもたちが大好きだった、「ふな先生のみーんないいこ」のオンコさん・・・おられないことが寂しいし、今、どんなふうに世界を見ておられるのかなあ ―― とね。
『少年と自転車』は自分もどうあるべきなのか考えさせられる映画でした。
もしもまだ観ておられなかったら是非、観てください。
でわ、今日も最後までおおきに・・・ありがとうさんです☆⌒(*^-゜)v